カメラマン道

近年、撮影仕事が減っているのは当ブログを読んでいる限り。

 

 

それでもカメラマン業は続けていきたいことから、

撮影できる喜びに考え方をシフトして撮影に望んでいる。

 

 

 

 

 

なかでも数百から数千カットを半日から1日撮って

ギャラが数万円にも満たない案件ばかりだ。

 

 

 

 

 

これを「耐え」と捉えるのか、「喜び」と捉えるかといえば、

 

 

 

 

 

 

当然、

 

 

前者にあたるだろう。

 

 

 

 

 

 

でも耐えながら撮っていてもいいものは撮れない

 

 

 

 

 

撮っている人が楽しみながら撮られなければ、

いい作品は生まれないものである。

 

 

 

 

 

当初は仕方なくだったのが、今では辛さの中の楽しさを見出している。

最近では一眼レフカメラを所有していれば、

カメラマン扱いとなっている若者が多い。

 

 

また若い方がフットワークがいいと思われているのだろう。

 

 

 

 

 

彼らは、大したこだわりもなく柔軟に動けるところに使い勝手がいいのだろう。

 

 

 

 

 

 

その中で自身のポリシーは決して枯れることも錆びることもない。

 

 

 

 

 

 

 

決して迷いやブレという邪念に騙されずに邁進していきたい。

道が暗く、心細いとどうしてもマイナス思考が働いてしまうもので、

一度起こったマイナス思考は簡単には払拭できない自分がいる。

 

 

 

 

 

 

 

 

例えば、ボタン操作1つで奏でる音楽機器があって

最先端のミュージックスペックを備えていても

ミュージシャンchar氏のライブがガラガラになることはない。

 

 

 

 

 

 

ベテランの味や粋も当てはまるが、経験者が持つ本来のスペックやこだわりを

信用、信頼して客は魅せられるのではないだろうか。

 

 

 

 

 

自身の気持ちも当然、それと同じであって。

 

クライアントが写真をみて

「なんとなくだけど、いいねこれ」というような写真は

きっと撮影者の持つスペックがクライアントに伝わった瞬間だろう。

フリーとして活動する前、編集プロダクションのサラリーマンだった時には

出張族で全国飛び回って土地土地のカメラマンと同行して撮影に臨んでいて。

 

 

そんなカメラマンが全国に、未だに連絡してきてくれて・・・。

その方々は名古屋だったり、大阪、福岡で活動されているのですが、

東京の撮影には「空いてる?撮れる?頼まれてくれない?」

なんて話をふっていただいて・・・。

 

 

 

 

 

 

泣けてきます。感謝の言葉しかでないです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

決してヘコタレないよう、

自分自身の弱さに打ち勝つように撮影仕事に取り組んでいこうと、

 

 

 

 

 

 

日々続く暑い暑い青空を見ながら心に誓った。